闘鶏神社

闘鶏神社は、熊野権現をまつり、古くは田辺の宮と称していましたが、源平合戦のさい、弁慶の父と伝えられている熊野別当湛増が、社前で紅白の鶏を戦わせ、白鶏が勝ったので源氏を助けることに決定し、熊野水軍を率いて壇ノ浦の合戦に出向いたことから、闘鶏神社という名がついたといわれています。地元の人は今でも権現さんと呼んでいます。子供の頃はなぜ権現さんなのか知りませんでしたが、特に気にすることなく、大人になりました。

闘鶏神社
闘鶏神社

鳥居をくぐると、社殿は正面ではなく右側にあります。珍しいですね。

田辺市には弁慶にまつわるものがたくさん残っており、闘鶏神社には弁慶産湯の釜などの品が保存され、弁慶と湛増の像もあります。

弁慶

鳥居の前には、土の道が残っているのですが、昔は馬を走らせたりしていた馬場だということです。










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